- 李英俊(イ・ヨンジュン)(61歳)
- 株式会社リーズプランニング 代表取締役
- 広島韓国商工会議所 会長
「 人との縁で創業の道へ」
権五明)経営されております会社の事業等についてお聞かせください。
李英俊)弊社は広告代理店になります。この会社をはじめる約3 年前に別の広告代理店でお世話になっていまして、その経験もあって創業に至りました。創業して23 年目になります。
権五明)李英俊会長は創業者になるのですね。
李英俊)そうなります。でも昔は、自分で事業をするとは想像していませんでした。亡くなった父が、土建屋を営んでいて、私も5、6 年手伝っていました。そのままいけば跡継ぎという道もあったかもしれませんが、父親、また私もですが、商売が上手ではなかったので、途中で廃業する事となりました。その父の姿を見ていたので自分で事業をやる事は全く考えていませんでした。
権五明)その様な中で創業に至った経緯は、何だったのでしょうか。
李英俊)縁ですね。私の親友が広告代理店をやっていて、その手伝いをしていました。そこを退社した後、自分で事業を起こすこともなく、当時の青年商工会の先輩たちがやっていた韓国クラブでアルバイトをしていたのです。そうしている内に、前職の部下が私の所に来て、李さんが抜けて会社が非常に困っていると言うのです。案件が宙に浮いてしまっていると。そこから紆余曲折ありまして、パチンコ業界に特化した広告代理店としてスタートすることになったのです。
権五明)創業当初、パチンコ業界に特化した理由は何ですか?
李英俊)私は元々、民団の職員をしておりました。仕事の中で体育会の事業にも携わっていたのですが、当時の体育会の会長が広島地方で、地場大手としてパチンコチェーンをやっている社長さんだったのです。その社長さんと色々な場面でご一緒させていただく機会が多く、私がクラブでアルバイトをしている時もお店に来て下さいました。その時に、社長さんと色々な話をしているうちに、「うち(パチンコ)の仕事を任せるから」という話をいただいた事がキッカケで、パチンコ業界に特化した広告代理店を立ち上げることになったのです。当時は伸び盛りでしたので、人材派遣や、イベント事業等も任せていただけるようになっていきました。
「 パチンコ業界からリユース業界へ」
権五明)コロナ禍が事業に与えた影響はどうでしたか。
李英俊)そうですね。私自身、まだコロナの真っ最中だという感覚です。乗り越えてもいなければ、まだちょっと自分の中で整理がつかない状態ですね。実は今も、毎月毎月を乗り越えていくのが大変な状況ではあります。影響で言いますと、2020 年、21 年は年間売り上げが億単位で下がっている状況です。将来のこと考える余裕はあまりないのですが、一方で、先程経緯を説明した中で、パチンコに特化してやってきたと言いましたが、実はもうパチンコ関連の売り上げ構成は4 分の1 以下まで下がっています。
権五明)それでは今はどの業種がメインになっているのですか?
李英俊)貴金属の買い取り店等、リユース業との取引が大幅に増えてきました。今、弊社の売上全体の7 割から8 割ぐらいがそうなっています。
権五明)全く違う業界ですね。
李英俊)弊社は2019 年から2020 年に行く中で、リユース業界の仕事が増えていく事は見込めました。その中で得意先がどんどん店舗を増やしていき、弊社の仕事も増えていったという流れです。
権五明)得意先さんの名前を聞きますと、業界ではかなりの大手ですね。御社の強みは何ですか?
李英俊)デザインから印刷まで全て弊社内で行う事は強みの一つです。その分だけ粗利率が良い。その様な事もあり、今年(2022 年)は順調に回復してきています。ここ(広島本社)に1 人デザイナーがいますが、あと、北海道等にもいて、今4 名でデザイン室を構成しながら、全部自前で回しています。
「 在日社会への恩返し、家族、使命」
権五明)会社経営で日々お忙しい中、組織活動にも積極的に携わっておられます。商工会はもちろん、青年会、青商、そして青商連合会、また広島民団団長等、すごい経歴です。
李英俊)20 歳の頃から青年会に参加していました。多くの先輩から刺激を受けながら青年会中央も経験して、当時は指紋捺印拒否運動の真っ只中でした。青年会中央から民団、その流れの中で体育会も。結婚を境に組織を離れて、下働きしながら広告代理店の事業を起こしますが、そういった中で、自ずと昔の関係で、広島の諸先輩方と青商の先輩たちが、私を引っ張って下さるのです。今までお世話になった分、恩返しというか、出来る限りの事はしようとなったのです。しかし、広島青商の会長もそうですし、青商連の会長も全部私がやるはずではなかったのです。組織は歯車と言うのでしょうか、次はこの人だろう、その次はこの人ってあると思います。その歯車が稀にうまく回らず波乱が起きる事があって、私はたまたまそのタイミングで受けなければならない事が多かったのだと思います。ですから、私の後に譲る時は、ちゃんと段取りをした上で譲る事を意識していました。
権五明)同胞社会への強い思いが伝わってきます。
李英俊)私の生まれは兵庫の伊丹です。父の事業等もあって、広島で本格的に生活をはじめたのは22 歳前後です。これは広島に限らない事だと思いますが、地方民団の団長というとやはり地域の名家の人達が多いと思います。私の様な新参者が団長をやるというのは、そんな大げさではないですが、なかなかないパターンだと思います。引き受ける理由に地域への恩返しという気持ちは当然ありますが、別の理由として私が考えたのは、自分の子供たちです。子供たちが広島で、李英俊の子か、と言われ皆さんに可愛がってもらえたら嬉しいなと。そんな事も思いました。恩返し、家族の為、そして自分の使命です。諸先輩が支えてきた民団や商工会を若い人たちにバトンタッチしていきたいです。
「 健康な体があれば何でも出来る」
権五明)公私にわたりお忙しい中で健康にはどの様に配慮していますか?
李英俊)コロナ禍で外食が難しい中、家で家内の手料理を食べて過ごしたのが、健康維持に繋がりました。子供は3 人いるのですが、もう皆な家を出て、今は家内と2 人きりで暮らしています。後は7、8、9 月を除いて、平日は大体1、2 時間以上歩くようにしています。あと、週末は筋トレと、1 時間半ぐらいのスロージョギングもやっています。
権五明)かなり身体を動かしていますね。
李英俊)こうやって改めて考えてみますと、私自身こうしてメンタルを維持しているかもしれませんね。事業で収益を上げる事はもちろん大事ですが、最終的に体が第一ですね。変な話、会社はなくなっても、健康な体があれば、次に何か出来ます。最近特にそう考えます。
インタビュアー・ 権五明広報副委員長(京都韓商副会長)