会員企業紹介#4「株式会社弦輝(柳和明愛知会長)」

  • 柳和明(ユ・ファミョン)(64歳)
  • 株式会社弦輝 代表取締役  
  • 愛知韓国商工会議所 会長

 

「 過去の境遇と眼の前の現実が重なり、日本初のモデルに」

玄剛)経営されております、株式会社弦輝の設立経緯等についてお聞かせ下さい。
柳和明)今から34 年前に、パチンコ用地の買収の専門の不動産ビジネスをはじめたのがスタートです。その後総量規制が入って、不動産ビジネスが若干やりにくくなった際、偶然知り合いが人材派遣をやっていたのを見て、それを見よう見まねで覚えて、工場向けの人材派遣を31 歳ぐらいから始めました。本当に多くの転機がありました。リーマンショックに端を発した「派遣切り」も転機となりました。リーマンショックが起きた年の10 月から派遣切りが発生し、行き場のない労働者数百人が名古屋駅の周辺に集結していました。それを保護するNPO 団体があって、派遣切りにあった労働者と共に名古屋市内の区役所に行き、彼ら彼女らに住む場所と食事を用意するよう訴え区役所が機能不全になる事態がありました。その様子を見て大変な事態だ、と思いながらも、ふと、自分も若い頃に寝る所も、住む場所もなかった事を思い出したのです。思い立って区役所の知り合いに電話をして聞くと、やはり大変困っている様子でした。そこで私の会社で、人材派遣で使っていた部屋が150 部屋空いているから、暖かくなるまでの3 ヶ月か4 ヶ月の間、部屋を提供すると提案したのです。それが当時の河村たかし市長の耳に入って、是非お願いしたいと言われ、受けいれる事になりました。この時は、後に商売に繋がる事は考える事もなく、自分の過去の境遇と眼の前の現実が重なり、行動をせずにはいられなかったのです。
玄剛)その行動力に驚かされました。この事は後にどの様にビジネスに繋がったのでしょうか。
柳和明)この時の経験が、今も続いている社会福祉事業に繋がる事になります。一例をあげますと名古屋刑務所から出所した方(軽犯罪に限る)をうちで預かり、就職の機会を提供する等の社会福祉事業です。
玄剛)この事業モデルは以前からあったのですか?
柳和明)私のところが、全国で初めてのケースでした。民間第1 号がうちです。あの時生活保護の方を受け入れた事が、名古屋市から愛知県に話がいって、県から国、そして法務省の方の耳に入ったと聞いています。
玄剛)在日初でも驚きですが、日本初とは本当に驚きました。
柳和明)全て偶然の事です。

柳和明愛知会長(写真左)と玄剛広報委員長

 

「 氷山の一角にばかりに目を向けるのではなく、陽のあたらないところに目を向けて」

玄剛)先程、過去の境遇に少し触れていただきました。これまでの歩みをもう少しお聞かせ願えますか。
柳和明)北九州の小倉で生まれ、4 歳の頃家族で京都に渡り16 歳までおりました。16 歳の時に東京、熱海、大阪を転々して、17 歳の時は東京にいましたが、誰も使ってくれないので、東京駅で金も底をついて困っていたら、声をかけられ、熱海に連れていってもらいました。熱海の焼肉屋で4 畳半の部屋に住み込みながら働いていました。夜は焼肉屋、昼は中華料理屋で働きながら仕送りをしていました。後から知りましたが、母は仕送りのお金を使わずに貯めていてくれていたのです。20 歳までで200 万円程になっていました。愛知県に来たのは20 歳ぐらいからです。21 歳の時にチリ紙交換を初めて、スーパーの軒下で古本販売もした事があります。長年1㌧トラックに乗り廃品回収をしていました。トラック70 台の規模に迄大きくなりましが、その後古紙業界は相場変動で儲からなかったので、白ナンバーで運送業を始めました。運送業界で騙された事もあったりしましたが、こんなことで人生終わりたくないとの思いで、業界に見切りをつけて営業権を売って、不動産ビジネスを始めたのです。パチンコ屋さんの物件も多く扱いました。
玄剛)この激動の時代をよくお1 人で、これだけのビジネスを築き上げてこられた事に尊敬します。私も含め、多くの在日は、親が苦労して築き上げたものを継ぐケースが多いと思います。柳和明会長のように、自ら道を切り拓くのは、本当にすごいなと思います。
柳和明)私は中学しか出ておらず、やらざるを得ない環境だったので、自分で商売をしたまでです。人間崖っ縁に立つと何とかするものですね。私は1 番大事なことは、女房子供をしっかり養いながら、自身の周りの人間を守っていく事だと思います。これが商売の始まりで、ここさえクリアすれば、いろんなチャンスがあります。また、氷山の一角、上の方ばかりに目を向けるのではなく、他の人が目を向けない、陽のあたらない所に目を向けて、助け合う事で、また多くのチャンスに巡り合うと思います。

 

 

「 自分が良くなりたければ、人に良くする」

玄剛)青商連の会長、在日韓商の副会長、今は愛知韓商の会長など組織活動の経験も豊富だと思いますが、組織活動、商売をする上で大事にされている事は何ですか。
柳和明)商工会議所は日本の北から南までいろんな人間がいて、情報交換をして、互いに助け合ったりする事が本来の役割だと思います。後輩たちにもよく言うのですが、自分が良くなりたければ、困った人がいれば手を差し伸べるべきだと思います。人にも良くしなさいという事です。私自身、裸一貫で誰も何も知らない時に助けられ、生きて来られたのも、多くの人が手助けしてくれたからです。

 

 

「 国際ネットワークを活かし、商売の機会を」

玄剛)愛知韓商の会長としての展望お聞かせ下さい。
柳和明)私自身、韓商で多くの経験をさせていただきましまた。情報交換をして、互いに助け合ったりする事が本来の役割であることは先程述べましたが、それに加え様々な経験の場を提供したいと考えています。それこそ在日韓商のもつネットワークをフル活用しようと考えています。日本国内にあるアメリカや中国、ベトナム、フィリピン等各国の商工会議所が日本にあります。在日韓商から直接、もしくは大使館等を通じて、会員同士が交流できる機会を提供していきたいです。その中でベトナム人の就労支援等、様々な商売のキッカケ、ヒントが見つかると思います。自分がこの世を去った後、娘・息子・孫達が人様に色々、諸々な事を教えていただきながら生き抜いて行くと思います。その為、自分自身も生きている間に周りや人にどれだけ良くできるかが大切だといつも考えています。

インタビュアー・ 玄剛広報委員長(宮城韓商会長)

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