会員企業紹介#5「有限会社呂甲商事 (河泳達神奈川会長)」

河泳達(ハ・ヨンダル)(70歳)

有限会社呂甲商事 代表取締役 

神奈川韓国商工会議所 会長

 

「40歳でバブル崩壊。目指した『強い会社』」

玄剛)会社の事業内容をお聞かせ下さい。

河泳達)主に金属加工業になります。金属の買い取りと売却、また加工・解体等を行っています。

玄剛)今の事業に至った経緯等もお聞かせ下さい。

河泳達)今の事業は、私が25歳位の頃から父の下で約5年間教えを受けました。初めはこの仕事があまり好きではありませんでした。25歳で飛び込んで30代になってくると、日本の景気がバブルに近づいている時期でした。

玄剛)1980年代辺りでしょうか。

河泳達)その頃ですね。当時は不動産や株を買う人が周りにも多く、私自身も不動産の免許を30代の時に取りました。当時は銀行も積極的に貸出をしていて、こんな良い機会があるのかなと感じていました。頭の片隅で、「楽をして、苦労をせず金が儲かるなら、それが1番早いのかな」と考えていた矢先、40歳の時にバブルが崩壊して、借金だけが残ってしまったのです。それからは、土地も株も手放してしまい、もうやることは何にもないという様な状況が続きました。

玄剛)バブル崩壊を経験した方の多くがそうでしたね。

河泳達)40歳で残ったのは借金とこの会社でした。そこから10年間が大変で…。銀行からは新たな借り入れも出来ず、借金は利息を払うのが精一杯でした。この様な日々の中で自らを見つめ直し反省もしました。そして、今思えば当たり前の事ですが、楽をして絶対に金は儲からないという事を再認識したのもその時期です。そこからは、どうやって挽回していくかを日々考えました。我々に平等に与えられているものは、1日24時間の時間です。平等に与えられた時間の中で、例えば、人が8時間働くなら、自分は16時間働こうという様な意識になり行動しました。今でもその習慣が身に染み付いていて、朝は5時に起きて会社に行っています。

玄剛)40歳からの10年間が与えた影響は大きかったですね。

河泳達)今改めて10年間で何を学んだかと振り返ると、「強い会社を作る」という事もその一つです。私の考える強い会社の条件の一つは、他力本願ではなく、各自が自分の力で成し遂げようとすることです。各自がそういう強さをもつ必要がある。私にとって従業員は宝物です。安心して仕事をしてもらう為にも、従業員とのコミュニケーションと教育はすごく大事です。但し、馴れ合いはダメです。そして商売に対しては、例えばある商売が確率的に70%位成功する可能性が見通せるのなら挑むが、五分五分では挑まないようにしています。固い商売と言いますか強い商売、そちらに重きを置くことの重要性も、その10年間で学んだことの一つです。

玄剛)現在、商売の方はどうですか?

河泳達)お客様を大事にする方法や、従業員の育て方等、私が50歳位の頃からは色々と安定してきました。私の商売では機械等の設備を向こう数年、数十年に渡って見通しを立てながら投資していく必要があるので、自分の中でビジョン的な部分、「何の為にこの仕事をして、どういった目的を持つか」という事を常に意識しながら現在仕事に取り組んでいます。業界の中で、他の会社に負けない為にも、知識と経験を常に身につけていかなければいけません。

河泳達神奈川会長(写真左)と玄剛広報委員長(宮城会長)

 

「韓商を自らの成長の場に」

玄剛)韓商と関わるキッカケを教えて下さい。

河泳達)先輩達が商工会に入っていた事がキッカケでした。

玄剛)入ってみていかがでしたか?

河泳達)今の質問で真っ先に思いついたのは、韓商に入ってから理論的な思考がさらに身についたなと思います。商工会議所では地元はもちろん、全国の様々な人と出会えます。その中で議論や経験を積み重ね、自分自身も成長を感じる事があります。それと、韓商に入った方には是非、会長を目指してほしいと思います。

玄剛)それは何故でしょうか。

河泳達)1つの理由として、韓商の会員のほとんどは経営者です。商工会議所の会長になると、全国の会長の考え方と自分の考えを比較しながら高めていく事が出来ると思います。高めるだけでなく、考え直すキッカケにもなります。もちろん一般の会員であっても出来ますが、会長となると、より自分を奮い立たせる事が出来ると思います。全国の経済人と交流できる韓商は本当に多くの事を学べる場所です。

玄剛)商売にも大いにプラスの影響があると。

河泳達)はい。もちろん、自分の商売だけに集中した方が良いし、心は楽かもしれません。でも敢えて、商売をしながら韓商の会議や会合に参加する為に、自分のコンディションも時間もやり繰りをする中で感じる成長も必ずあると思います。

玄剛宮城会長

 

「偉大なる先輩と出会い、同じ土俵を夢見て」

玄剛)韓商で特に影響を受けた方はいますか?

河泳達)神奈川韓商、そして在日韓商の歴代会長である洪采植会長には大いに影響を受けました。

玄剛)洪采植会長、卒寿を迎えられましたね。

河泳達)卒寿を迎えた今でも、現役で会社にも必ず出勤している様です。お会いさせていただく事も多いですが、話をすると私がエネルギーをもらうくらいお元気で、憧れを持ちます。

玄剛)多くの諸先輩の元気なお姿を拝見出来るのは、商工会の醍醐味です。

河泳達)そう思います。韓商を築き上げてこられた素晴らしい先輩達を見ていますと、洪采植会長もそうですが、現役であること、やはり仕事を第一線で続ける事で意識が高まると言いますか、病気も怪我にも気をつける必要がありますし、人前に出る事が多くなるので、身だしなみにも人一倍気を使っているのかなと思います。韓商は偉大な先輩と巡り合える場でもあります。

玄剛)ある程度の年齢になってからも多くの人に出会い、良い影響を受けられる環境は貴重かもしれません。特に経営者となると、色んな面で指摘してくれる人が少なくなる傾向もありますので。

河泳達)特に会長になる方は、人よりお金を使うとか、人より飲食の場を持つとかではなく、特に後輩達から商売の事で質問をされた時に、適切な言葉、正しい考え方を教えてあげられるような方である必要があると思います。楽して金は儲からない。それこそ、刑務所入ったつもりで、5年ぐらい根性入れてやれば、必ず芽が出る成功するとは言わないが、芽が出る可能性があることを伝えるべきではないでしょうか。その言葉に納得迄しなくとも、後輩としてはそれだけでも、気持ちが少し楽になる事もあると思います。

玄剛)後輩や人と話す事で自分自身と向き合う機会にもなります。河泳達会長は生涯現役を目指さないといけませんね。

河泳達)自分の中で、洪采植会長を目標に、少なくとも90歳まで現役で働こうと思います。私が韓商に参加したばかりの頃、相撲の番付で言うと私が15枚目だとしたら、洪采植会長は横綱でした。年も20歳も離れているので、同じ土俵に上がれる事を夢見て韓商の活動を頑張ってきました。そしていざ会長になる時は、夢見た舞台で尊敬する先輩達に対して、恥ずかしくない会長になろうと考えました。

玄剛)素晴らしいお話しをありがとうございます。

有限会社呂甲商事の様子

インタビュアー・玄剛広報委員長(宮城韓商会長)

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