「東を目指せ(Look East)」。すぐれた英語力と頭脳で米国シリコンバレーを掌握したインド人たちが、今では東アジアに集結している。インド南部の名門校、マドラス大学コンピューター学科を卒業したバルラムさん(36)は3年前から東京で働いている。ソニーの系列会社のソフトウェア研究員だ。「インドのシリコンバレー」と呼ばれるベンガルール(英語呼称:バンガロール)で10年働いたキャリアがある彼に、日本の会社は1億ウォン(約1290万円)の年俸を保障した。彼は「今後はインドもアジアで勝負するしかないので、早めに挑戦した」と話す。日本で暮らすインド人は、この5年間(2002‐06年)で10倍以上(2000人→2万1000人)増え、東京には「インド人街」やインド式教育が可能なインターナショナルスクールが2校もできた。
インドのポンディチェリ大学でMBA(経営学修士)を取ったマノハルさん(30)は2年前から中国・上海のマーケティング会社で働いている。彼は「小さいころは故郷にあるハイデラバードのバス停が世界で一番大きい所だと思っていた。その後米国が世界で一番豊かだと信じていたが、今は上海のほうがもっと大きくなる可能性があると思うようになった」と話す。
インド・マドラス大コンピューター工学科修士のバラミベルさん(31)は2年前から韓国のシティバンクでビジネスマネージャーとして働いている。彼は「あと5‐6年くらいは韓国で働くつもり」と言う。一方バランさん(女性)はインド・マルディバ大を卒業、IT企業のS&S韓国支社で働いている。彼女は「韓国のIT業界は市場の需要が大きく、それだけ潜在力がある。今後、さらに多くのインド人がシリコンバレーの代わりにアジアに集まってくるだろう」と語った。2002年に韓国に居住していたインド人は約1500人ほどだったが、昨年は約1万3000人にも増えた。
このようにインド人が韓国・日本・香港・シンガポール・オーストラリアといった東アジア・オセアニアに集まっているのは、インド政府の東方政策によるところが大きい。1991年にインド政府が経済開放を行い、「韓国や日本に学ぼう」と掲げたスローガンが、今やアジア市場に「追いつけ追い越せ」という意味に変わりつつある。
インドのシン首相は今月14日、「東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国との自由貿易協定(FTA)を積極的に推進する」と述べた。さらにインド国際経済関係研究所(ICRIER)のバトラ首席研究員は「アジア市場を確保できなければ、将来、世界経済の主導権を握ることはできない」と話す。
こうした流れに乗り、インド国内でも東アジア文化が定着し始めている。インドの人気映画『アミル・カンス・ディル・チャタ・ハイ』はオーストラリアで撮影され、映画『ギャングスター』は韓国・ソウルと釜山を背景に作られた。市場調査機関トランスリサーチのチャウラ社長は「今やインド人は、欧米以外にアジアでも自分たちが注目されていることに気付いた」と話す。
韓国のテヘラン路、中国の中関村、日本の秋葉原が「インド人たちのシリコンバレー」となる日もそう遠くはないかもしれない。